マネージャーブログ

Nov 19, 2008

景気対策なら無責任も許されるの...

総額2兆円の生活支援定額給付金についてテレビ報道番組のインタビューに応じた若い女性の声。
「お金もらえるんですか。うれしい〜。でも、国は大丈夫なんですか〜?」

国の財政を考えれば大丈夫でないことは明白。
日本の国及び地方の長期債務残高は2008年度末見込みで778兆円(国民1人当たり610万円)になると、財務省は発表している。さらに財投債、政府短期証券、政府保証債務などを合わせると1000兆円を超える。 年間の税収を国で53兆円、地方で42兆円の計95兆円とすると、税収の10倍以上の債務(借金)を背負っていることになる。

また、長期にわたる自公連立政権による新自由主義、財界・金融重視の経済政策の結果として格差の拡大が国民生活に色濃い影を落としている。いま求められるのは、格差を是正しながら貧困対策をはじめ社会保障などのセーフティネットの整備と財政再建を果たすことだ。ノルド社会環境研究所が行なった「2008年日本の財政と社会保障に関する調査」でも、財政とセーフティネットの危機は「歳出削減」「制度運営の効率化」「格差是正」で回避すべき、というのが多くの国民が求める方向である。

しかし、定額給付金について所得制限するかしないかの判断は地方自治体に丸投げされ、設けないとする自治体が多いようだ。夜な夜な高級ホテルのバーに通うようなセレブも含めて定額給付金という税金がばらまかれる。野党がこの定額給付金に対して、解散総選挙前の全国民に対する買収であり、会社であれば公金を私的利益のために供する背任行為であり、公然とした犯罪だというのもうなづける気がする。

もうひとつこの定額給付金問題で明らかになったのは、厚生労働省も、税務当局も、地方自治体も、本当に所得の低い人、本当に困っている人を把握できていないということだ。それが普段からわかっていれば、そこに限って、あるいはそこに特に厚くという施策が容易に検討・実施されたはずだ。生活保護も申請主義であり、生活保護水準以下の人がどのくらいいるのかもわからないという状況が、格差社会、貧困の放置につながっているように思う。

もうひとつ、世界的な金融危機に対応するための金融機能強化法の改正では、10兆円規模の公的資金が、その経営責任の追及なしに注入される枠組みと聞く。デリバティブ(金融派生商品)でフェイクマネー(ニセ金)のバブルを膨らませた金融機関の経営責任を追及せずに税金の注入はありえない。金融システムの本来的な機能の安定のためには、無責任なデリバティブを再生産する金融機関や、それに無責任に高い格付けを与える格付け機関を排除し、確かな倫理観をもった新たな金融の担い手を中心にしてシステムを更新していくことが重要だ。

景気対策や金融安定対策だからといって、無節操な税金のばらまきや注入が許されるはずはない。
そもそも、いつまでも拡大・成長のための景気対策は必要なのだろうか。少ない資源、少ないマネーで充分な幸福を享受する生活のあり方、経済のあり方を、われわれは求めているのではないのか。少なくとも地球環境、人類社会の持続的発展という観点からは、それが求められていると思う。

それにしても気になるのが、昨日の元厚生次官とその家族の連続襲撃事件。妻の美智子さんとともに殺された山口剛彦氏(66)、妻の靖子さんが刺された吉原健二氏(76)、両氏とも年金局長として現在の年金制度づくりに携わったことから「年金テロ」との報道もあった。もちろんこんな殺人が許されていいはずはない。しかし一方で、年金問題をはじめとする政治不信が深まる中、解散先送りによる国民の閉塞感が、このような事件の背景にあるような気がしてならない。景気対策のためにも、テロ予防のためにも麻生首相には早期解散の決断を望む。来年春、定額給付金という国民買収金の配布完了のタイミングに合わせて解散というのは、あまりに露骨である。

Nov 11, 2008

オバマ氏と希望

2008年11月4日アメリカ合衆国大統領選挙(大統領選挙人選出選挙)において民主党のオバマ氏が、共和党のマケイン氏をくだして当選した。
選挙人数では365人対162人、一般投票の得票率は52.5%対46.2%。
アフリカ系初の大統領であり、また、初の1960年代に誕生の、ハワイ州生まれの大統領となる。

イラクとアフガニスタンの2つの戦争やサブプライムローンに端を発した金融危機で、米国の借金経済は破綻状態。雇用不安や格差が広がる中、このどん底から這い上がるためにリーダーシップをとれるのはやはりヒラリー・クリントンやマケインではない。米国民はオバマ氏に希望をかけるしかなかったということだろう。

就任前から、金融機関だけでなくGMをどう救済するのかなど経済面の課題は大きい。貿易赤字の中、偽装金融商品で世界中から集めた金で借金生活を謳歌していたつけはあまりに大きいからだ。
イラクからの兵力の段階的な撤退やイラン・北朝鮮など独裁国家と言われる国々との対話路線への転換を主張しても、米国の政官財に深く巣食った軍産複合体の抵抗は激しいものがあるだろう。選挙中にも何度か暗殺計画の報道を耳にした。

しかし、真の世界平和への対話、軍縮、核不拡散、貧困の撲滅、地球温暖化対策を推進するには絶好の米国大統領だと思われる。チェンジは米国だけでなく、世界が必要としている。Yes, We Can! と、私も世界人類の希望の実現を信じたい。

以下、オバマ氏のプロフィールメモ(Wikipediaから抜粋)

バラク・フセイン・オバマ・ジュニア(Barack Hussein Obama, Jr)
1961年8月4日 米国ハワイ州生まれ。47歳。
実父のバラク・オバマ・シニア(Barack Obama, Sr.)(1982年没)はケニアのニャンゴマ・コゲロ(Nyang'oma Kogelo)生まれのイスラム教徒(ムスリム)。母親はカンザス州出身の白人、アン・ダナム(1995年没)。2人はハワイ大学で出会い、1961年2月2日に周囲の反対を押し切って結婚。
父親はムスリムだったが、本人は現在キリスト教徒(プロテスタント)。両親は1963年に別居し、1964年に離婚。1965年に実父はケニアへ帰国。異父妹が1人。異母兄弟8人(うち4人死没)。
人類学者となった母がインドネシア人地質学者のロロ・ソエトロ(Lolo Soetoro)(1987年没)と前夫と同じく、ハワイ大学で知り合い、再婚したことに伴い、1967年にインドネシア・ジャカルタへ移住。地元の学校に10歳まで通う。1977年に母は人類学者の仕事でオバマをハワイの両親に預け、インドネシアに戻り、1994年まで現地に滞在した。ハワイにおいて白人の母親と母方の祖父母によって育てられた。母方の祖父母はスタンリー・ダナム(1992年没)とマデリン・ダナム(2008年没)。1980年に母のアンと継父のソエトロとの離婚が成立。
1971年に地元の有名私立小中高一貫校のプナホ学園に5年生として転入。在学中はバスケットボール部に所属。また、高校時代に飲酒や喫煙、大麻、コカインの使用を自伝で告白。
1979年に同高校を卒業後、カリフォルニア州ロサンゼルスの単科大学の私立オクシデンタル大学に入学。2年後、ニューヨーク州のコロンビア大学に編入し政治学、特に国際関係論を専攻する。
1983年に同大学卒業後、ニューヨークで出版社やNPOで勤務し、1年間を過ごした。その後、イリノイ州シカゴに転居した。シカゴでは教会が主導する地域振興事業(DCP)の管理者として3年間従事し、職業訓練支援などを行った。事業所の人員を1名から13名に増員させ、年間予算を当初の7万ドルから40万ドルに拡大させるなどの業績を残した。 1988年年央にケニアと欧州を旅行し、ケニア滞在中に実父の親類と初めて対面した。同年秋にハーバード大学ロースクールに入学。1990年2月にはアフリカ系として史上初の「ハーバード・ロー・レビュー」の編集長を務めた。1991年、法学博士の学位を取得、同ロースクールをmagna cum laudeで修了しシカゴ大学の法学フェローとなる。
1992年に、シカゴの弁護士事務所で知り合ったミシェル・ロビンソンと結婚し、1998年にマリア、2001年にサーシャの2人の娘をもうけた。1995年には、自伝『Dreams from My Father』(邦題「マイ・ドリーム」出版社: ダイヤモンド社)を出版。
ハーバード大学ロー・スクールを修了後、シカゴに戻り有権者登録活動(voter registration drive)に関わった後、弁護士として法律事務所に勤務。またシカゴ大学ロースクール講師として合衆国憲法を1992年から2004年まで講じていた。
人権派弁護士として頭角を現し、貧困層救済の草の根社会活動を通して1996年にイリノイ州議会上院の議員に選出され2004年1月まで務めた。なお、2000年には連邦議会下院議員選挙に出馬したが落選した。
2003年1月に連邦議会上院議員選挙に民主党から出馬を正式表明し、2004年3月に予備選挙を勝ち抜き同党の正式候補となる。2004年11月には、対立候補を得票率70%対27%の大差で破り、イリノイ州選出の合衆国上院議員に初当選した。
2004年のアメリカ大統領選挙ではジョン・ケリー上院議員を大統領候補として選出した8月の民主党大会で「リベラルのアメリカも保守のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ。ブラックのアメリカもホワイトのアメリカもラティーノのアメリカもアジア人のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ」「イラク戦争に反対した愛国者も、支持した愛国者も、みな同じアメリカに忠誠を誓う“アメリカ人”なのだ」との基調演説を行い、その模様が広く全米に中継されるとともに高い評価を受けた。

Oct 25, 2008

小島慶三先生を偲ぶ

10月19日、如水会館で「小島慶三先生を偲ぶ会」が行われた。
小島慶三先生は、エルンスト・フレドリッヒ・シューマッハーの『スモール・イズ・ビューティフル』を酒井懋氏とともに翻訳されている。この翻訳本が出版されたのが1986年。ノルドの設立の年である。その縁というわけではないが、スモール・イズ・ビューティフルの思想はノルド社会環境研究所の企業理念を支える重要な源流となっている。

偲ぶ会で配布された小島慶三先生の略歴をみると、改めて戦中、戦後を通じた官界、財界、学界、政界にわたる活躍とその業績の偉大さがわかる。

大正6年3月11日 埼玉県羽生市に生まれる。
昭和15年 東京商科大学(現一橋大学)卒業 卒論『本邦農村協同組合史論』。同年企画院入省、勤務の傍ら法政大学非常勤講師(農業政策)。
昭和17年 大蔵省出向 翌年、軍需省発足総動員局総務部勤務。
昭和22年 商工省(後に通商産業省、現経済産業省)大臣官房企画室勤務。緊急生産対策、物資需給調整、軍需工場の民需転換などに従事。
昭和24年 石炭庁国家管理準備室勤務。
昭和25年 物価庁機械金属課長。公益事業委員会監理課長兼調査課長。電気事業再編成、電源開発に従事。
昭和28年 通産省大臣官房調査課長。産業構造、産業動向調査に従事。
昭和30年 重工業局鉄鋼業課長兼製鉄課長。
昭和32年 経済企画庁調整局調整課長。
昭和34年 石炭局炭政課長。
昭和36年 公益事業局経理参事官等。炭鉱争議への対応や電力再編成など産業復興主要業務に従事。
昭和37年 日銀政策委員(経済企画庁を代表)。業務の傍ら、経済学にも造詣を深め、多くの大学の非常勤講師などを務める。
昭和38年 通商産業省審議官。退官。日本精工鞄社。取締役企画部長として海外の営業活動に尽力。昭和45年には専務取締役に就任。
昭和49年 日本精工鰍ゥら芙蓉石油開発鰍ノ派遣され、副社長に就任。
昭和53年 芙蓉石油開発椛纒\取締役社長に就任。(昭和59年まで)
この間経済同友会役員として理論的、政策的な活動に参加。こうした活動の中で、農業問題に深い関心を持ち、特に日本の「水田」の持つ多様な役割と重要性を訴えた。
「小島塾」を主宰し東京をはじめ全国各地で勉強会を開く。上智大学、成蹊大学、名古屋大学、一橋大学の講師として後進の指導に当たる。
「近代化研究所」を設け日本の近代化の基礎が江戸時代に築かれていることの研究を進め、「人間の顔を持った経済学」を説き『人間復興の経済学』を出版。
昭和56年 同志を糾合し「ヒューマノミックス研究会」を設立。
昭和59年 経済界から転じて、(財)日本立地センター理事長に就任。地域振興、農業振興、環境問題の重要性を説き、全国各地を訪れ、具体的な地域の取り組みに参画、指導に当たる。この間(財)日本テクノマート理事長を兼務。母校の(財)東京商科大学奨学財団の理事長として活躍。並行して、シューマッハーの『混迷の時代を超えて』『スモール・イズ・ビューティフル』を翻訳し、理論と実践の両面で目覚しい活躍。
平成4年 細川護煕氏の日本新党に参加、衆議院選挙に立候補。
平成5年 繰り上げ当選で活躍の場を政治の分野に広げ、1期5年間、国政の場でヒューマノミックスを旗印に、政治・経済・社会の改革、日本農業の自立や地方分権の推進を主張した。
平成6年 参議院院内会派「新緑風会」に参加。「新緑風会」命名。
叙勲 従4位 勲3等瑞宝章
趣味は、大学時代はボート部で活躍。その後はスキー、ゴルフなど発展期のスポーツや新しい体験に興味を示した。
また、伝統文化に通じ小唄を楽しみ、亡くなる直前まで「エッセイ集」や「句集」の発行を続けた。
平成20年8月30日逝去

「小島塾」は、上智大学の小島ゼミの卒業生らによる社会人ゼミとして始まったもので、最盛期には北海道から沖縄まで29箇所に広がっている。その最北端の小島塾が私の出身地である北竜町にあったというご縁もあり、数年前から知人の紹介をいただいて「東京小島志塾」に数回参加させていただいている。
小島先生がご高齢のため、2006年6月例会を最後にして、東京小島志塾を閉じられることになってからは、その志を継承するためのインターネット上のコミュニティサイト「小島志ネット」が開設されている。
http://www.kjknet.jp/index.html

小島慶三先生は、常々、文明の衰亡の原因は@自然環境の破壊、A社会システムの機能不全、Bモラルと内的意欲の喪失、と指摘されていたが、現代社会はまさにこの3つが同時に進行しているように思われる。一方、先生は「日本はまだ間に合う」ともおっしゃっていたという。希望を失わずに、先生の志を継いでいきたい。

Oct 22, 2008

市場価格の乱高下対策もスロース...

経済小説『エネルギー』の著者黒木亮氏は、リーマンブラザースの破綻を受けて、原油価格(WTI先物)は年末にかけて50ドルを切ってもおかしくない、と予想した(週刊現代10月4日号)。確かに一時140ドル台をつけた原油価格は、ここにきて70ドル前後と半値まで落ちてきている。

原油の「井戸元コスト」と呼ばれる生産原価は、現状11ドル89セントに過ぎないという。で、あれば昨年来の原油価格の高騰はやはり投機筋のつくったバブルということか。
黒木氏は、このバブルの原因を「経済のマネーゲーム化」だと指摘する。70年代後半から米国で金融自由化が行われ、金融機関は金融工学を取り入れ、オプションやABS(資産担保付証券の一種)など様々な商品を作った。90年代に入ってそれらが原油や穀物にいった商品市場に持ち込まれて価格の変動性を一気に高めた。商品市場は通貨や株式、債券などに比べると極めて小さな市場のため、価格操作が容易で、なんでもありの「ジャングル市場」になっている。また、「資源パラノイア」と化した中国が世界中で油田とガス田の権益を買い漁っていることも石油価格高騰の原因だというのが、黒木氏の説明だ。

米国サブプライムローンに端を発した世界的金融破綻が、株式市場などから流れ込んでいた石油市場への金の流れを引き揚げさせ、原油価格が落ち着きを取り戻したということだろう。

しかし長期的には、いままで7億〜8億人の先進国人口を満たすためだけの資源需要が、今後30億〜40億人の新興国需要をも満たたしていくことになれば、当然石油に限らず、鉱物資源や食糧資源も供給不足、価格高騰が予想される。その際、投機バブルによる高騰ではなく、有限な資源の希少性を反映した価格の上昇は、本来不必要な需要を抑え、再生可能な資源へのシフトを促進する意味で重要である。原油価格であれば、あまり低い価格より100ドル前後の価格のほうが、将来必要な再生可能エネルギーへの転換を促すという観点からは適正だと思える。
ジャングル市場の資源価格の乱高下に一喜一憂するよりは、国内なり地域において最低限必要な資源の自給水準を確保し、小さな市場で長期に安定的な価格での取引を可能にしていく方向を考えたい。

今回の欧米の金融機関の破綻で、日本の金融機関は優秀な人材や海外の有望市場を獲得できる千載一遇のチャンスを得たとも言われている。この際日本の金融機関に期待したいのは、いままでの金融工学を駆使したマネーゲーム化の方向ではなく、日本の株式市場、商品市場をはじめとして市場や金融商品の健全性や信頼性を高める方向で、その優秀な人材等を活用するということである。
超長期的には、50年〜100年単位で恐慌と呼ばれる水準も含む景気循環の波はおとずれる。そのとき戦争という愚かな選択肢ではなく、貧困の撲滅や再生可能資源の開発普及といった方向で市場や金融のシステムが機能できるよう、改革が進められることを期待したい。

そうした市場・金融システムの改革、資源価格高騰時代に対応した経済対策には、長期的視点に立った抜本的な政策転換とそのための政治的リーダーシップが必要だ。日本の場合、自公政権の長期化による政治不信が市場・金融システムへの不信を増幅している面がある。バブル議員延命のための小手先のバラマキ景気対策は財政危機の深刻化に拍車をかけて後に禍根を残すだけである。まずは、早期解散という麻生首相の政治的リーダーシップを期待したい。たぶん、それが最大の景気対策になる。

Oct 04, 2008

エコノミー社会とエコロジー社会...

エイモリー・B・ロビンスの『ソフト・エネルギー・パス』を槌屋治紀氏とともに翻訳した室田泰弘氏の著書「日本ソフト・パス」(1981年、東洋経済新報社)から、ロバート・クラークの対照表です。

エコノミー派の社会エコロジー派の社会
生態学的に不健全生態学的に健全
大量のエネルギー投入少量のエネルギー投入
高い汚染率低いまたは皆無の汚染率
物質とエネルギーの復元不可能な利用復元可能な物質とエネルギー源のみ
一定期間のみ機能可能永遠に機能可能
大量生産手工業型産業
高度の専門化低度の専門家
核家族共同体単位
都市に重点村落に重点
自然から疎外自然との一体感
「合意」による政治(権力者の打ち出す政策に一般大衆が合意する)民主的政治
世界的貿易地域的物々交換
資力によって規定される技術の限界自然によって規定される技術の限界
地方文化の破壊地方文化との共存
乱されやすい技術乱用を防止
他の種に対して極めて破壊的他の種の繁栄に依存
利潤と戦争によって決まる革新必要によって決まる革新
成長志向型経済定常経済
資本集約的労働集約的
若者と年寄りの間を疎遠にする若者と年寄りを結びつける
中央集権的分権的
全般的な効率は規模と共に増大する全般的な効率は規模が小さくなるに従い増大する
一般の人が理解するには複雑すぎる運転方式誰にでもわかる運転方式
技術の事故は頻繁かつ深刻技術の事故はほとんどなく、あってもささいなもの
技術的、社会的問題に対する単一の解決方法技術的、社会的問題に対する多様な解決方法
単一栽培に重点を置いた農業多様性に重点を置いた農業
量的規準を重視質的規準を重視
食料生産専門の産業すべての人が行う食料生産
主として収入のために行う仕事主として満足を得るために行う仕事
小単位は他のものに全面的に依存小単位が自給自足
文化から疎外された科学と技術文化と統合された科学と技術
専門家、エリートによって行われる科学と技術すべての人が行う科学と技術
仕事と余暇の厳密な区分仕事と余暇の区別はゆるやかまたは皆無(概念そのものが無効)
地球上の少数のものにとっての限られた時間だけの有効な技術目標「すべてのものにとって永遠」に有効な技術目標


Oct 03, 2008

小泉劇場の終わりに思うこと

5人も候補が立ってにぎやかに展開された自民党の総裁選は「小泉劇場のフィナーレ」の様相だと書いたら、本当に小泉元首相が引退を表明した。
総裁選で圧勝した麻生新首相は、所信表明演説で、なぜか野党のように民主党に逆質問。一方、民主党の小沢代表は代表質問で野党なのに所信表明。まるで選挙前に与野党逆転が起こっているかのようだ。
すぐに解散、総選挙かと思ったら、米国の金融救済法案が下院を通らなかったため、「解散より景気」と麻生首相は先延ばしを考えているらしい。

金融救済法をめぐる米国の議論を見ていると、小泉政権の初期を思い出す。竹中経済財政・金融相の下、不良債権にあえぐ大手金融機関に対して大規模な公的資金の注入が行われた。バブル崩壊後、高給の銀行員たちは救われ、金融機関はその後未曾有の利益を得たが、年金生活者などは続く低金利に生活を切り詰めざるを得なかった。いま思えば格差拡大の始まりだった。すでに格差大国の米国で、ウォール街を闊歩する勝ち組がかかえる不良債権を公的資金で買い取るという金融救済法に対して、負け組み側の市民が異議を唱えるのは当たり前だと思う。

ところで、「解散より景気」は、いかにも麻生さんらしい。外務大臣のときも、中央アジア・コーカサス、トルコ、中・東欧にバルト諸国まで延びる「自由と繁栄の弧」というロシアと中国を囲む反共包囲網を築こうと提案している。私の目には、あたかも祖父吉田茂の遺伝子を引き継いだ「海外版所得倍増計画」のように見えた。
ただ、地球温暖化や資源枯渇が現実に感じられ、格差社会の中で貧困問題が無視できなくなっている時代に、今求めるべきは「景気対策」や「所得倍増」なのか?
低炭素・省資源・エネルギーの持続可能な社会への基盤整備、セーフティネットの整備と貧困対策など、とにかく大きな政策発想の転換が必要だ。そのためには、やはり早めに解散・総選挙をお願いしたい。「自民党をぶっ壊す」というセリフで始まった小泉劇場だったが、結局自民党は変わらなかったのだから。

Sep 26, 2008

八ヶ岳南麓のSlowSmallな生活(...

 前回のレポートからあっという間に3か月近く経過してしまいました。決して紹介する事柄がなかったわけでなく、あまりにもたくさんありすぎる一方、このプログに書く余裕(時間的、心の余裕)がなかったのです。その第1は2地域居住による「SlowSmallな生活」は忙しいということです。2地域居住は行政をはじめ多くの有識者が推薦していますが、現実に実践すると実にあわただしいものです。それぞれの置かれた環境にもよりますが、現役に近い仕事をしていると片道2時間弱とはいえ、毎週末となるとさまざまな制約が出てきます。やはり、2地域居住は定住のためのプロローグとして位置付けた方が良いようです。ちなみに私は定住を促進するために60年住んだ東京から山梨県北杜市に住民票を移しました。
 
 第2は、実は「SlowSmallな生活」そのものが忙しいということです。ただ、その忙しさがたまらなく楽しいのです。例えば敷地内に歩道をつくるとき、業者に依頼すればFastに、かつ、「美しく」できますが「SlowSmallな生活」では基本的に自分で行います。写真は途中のものですが庭に作っている歩道です。これらの石は田圃の中から出てきた石や近くの川から拾ってきたもの(大きな声では言えませんが)です。多くの時間を要していますが、石を探して組み合わせて土に埋める作業は楽しく、出来上がりは本当に美しく見えます(自画自賛)。
 
 また、野菜はBigな市場でなくSmallな市場で調達することを目指しています。その究極は自家生産、自家消費と考え、多種少量の野菜を植えています。無農薬のため1/3は虫に食べてもらっていますが、それでも過剰生産になり東京のご近所に差し上げて喜んでいただいています。専業農家でもないのに「お宅の野菜おいしいね」といわれると何とも嬉しいものです。そのためには栽培に当たっては妻に対する数倍の愛情を注がねばなりません。
「SlowSmallな生活」は大忙しで楽しいですね!
(民)


Sep 24, 2008

ソフト・エネルギー・パス

少し前の話になってしまうが、7月10日にシステム技術研究所所長の槌屋治紀氏の話を循環型社会研究会の「循環ワーカー養成講座」で伺った。
エイモリー・B・ロビンス著『ソフト・エネルギー・パス』(1979年、時事通信社)の翻訳者である槌屋氏が示す「2050年エネルギーシナリオ」では、2040年頃には原子力がなくなっている。聴講者の質問に応じて答えたその理由も明快である。
第一に、原子力発電の燃料であるウランが枯渇性の資源であること。第二に、核拡散につながること。第三に、放射性廃棄物の処理・処分が困難であること。そして第四に、とりかえしのつかない破局的事故の危険がつきまとうこと。

ロビンス夫妻は『ブリトルパワー 現代社会の脆弱性とエネルギー』(1987年、時事通信社)で、大規模に集中化したエネルギーシステムの脆弱性を多面的に指摘しているが、原子力発電と大規模電力系統システムは、その象徴でもある。石油やガスでも、タンカーやパイプラインでの爆発や事故、テロ行為などを考えると、現代社会は、まさにブリトル(brritle:もろい、壊れやすい、砕けやすい、移ろいやすい、傷つきやすい)なシステムの上に築かれた砂上の楼閣であることに気づかざるを得ない。

槌屋氏は、『ソフト・エネルギー・パス』の翻訳を出版した翌年に、『エネルギー耕作型文明 エネルギー自立のシナリオ』(1980年、東洋経済新報社)を著している。そこでは、集中型のエネルギー供給の体制が国民一人一人を完全にエネルギー消費者にしてしまったことが、エネルギーの利用目的と質との適合性への無関心を生んだと指摘し、これからのエネルギー政策に必要な6つの基本的条件を指摘している。
(1)必要なエネルギー量そのものを減少させること
(2)環境の破壊を最小限にするようなエネルギー供給システムを選択すること
(3)永続性のあるエネルギー供給システムを建設すること
(4)エネルギーの利用目的に適合した質のエネルギー源を使うこと
(5)小さな地域単位でエネルギーの自給を重視すべきこと
(6)エネルギーの生産に人々が参加できること
不安定で資源の偏在する化石燃料や核燃料に頼るエネルギー狩猟型文明から、安定的で地域において入手可能な太陽光や風力、バイオマス、水力、波力から農業に似た方法でエネルギーを得る耕作型文明への転換である。

ロビンスの「ソフト・エネルギー・パス」や槌屋氏の「エネルギー耕作型文明」の提案からすでに四半世紀が過ぎた。「2050年までに、効率の向上によりエネルギー需要を半減させ、その半分を再生可能エネルギーで供給すればCO2の排出量は4分の1になる」という槌屋氏の「2050年エネルギーシナリオ」は十分な実現可能性をもっていると思う。そうでなければ、日本における本当の意味での安心・安全な暮らしは実現しない。

Sep 14, 2008

夏の思い出―ゲリラ豪雨と福田総...

いつのまにか9月も半ばになってしまいました。
「ゲリラ豪雨」などという新語も飛び出すほど、局地的な突然の激しい雨での洪水被害が多発した夏でした。コンクリートとアスファルトで固められた都市の地面や河川、下水道。通常であれば地下に徐々に浸透して地下水としてゆっくり流れる水循環が阻害され、大気の流れもヒートアイランドと高層ビルの乱立で撹乱されているようです。もちろん地球温暖化の影響もあるでしょう。

9月に入った途端、福田総理が辞任ということで、世間は呆気に取られました。安倍総理の辞任も確か昨年の9月でした。考えてみれば「郵政民営化」だけが争点の小泉劇場選挙で大勝した自民党、公明党の連立政権が長く続き過ぎました。そのため、防衛省、社会保険庁、農水省をはじめ数々の不祥事が起こり、財政やセーフティネットの危機、格差社会の問題もますます深刻化してきました。

自民党総裁選が麻生、小池、与謝野、石破、石原と5人も候補者が出て繰り広げられています。さながら、小泉劇場のフィナーレという様相ですが、もうアンコールの拍手はしたくありません。

夏休み北海道の田舎に帰り、93歳になる父とパークゴルフをしました。
2日間で8コースほど回りましたが、一度も勝てませんでした。


近くの公園に咲いていた百日紅(さるすべり)。白い花が涼しげでした。


9月6日、千葉県鴨川市大山千枚田の稲刈り。蒸し暑さにバテ気味でしたが、収穫の喜びを味わいながら、いい汗をかきました。

Aug 19, 2008

北京オリンピック

2008年8月8日午後8時から始まった北京オリンピックの開会式は、中国の経済社会文化の発展を世界にアピールする素晴らしいものだったと思う。
開会式場の愛称「鳥の巣」に近づいてくる巨人の足跡のような花火が実はコンピューターグラフィックだったとか、可愛い少女の歌声が実は別の子の吹き替えだったとか、少数民族の衣装を着て登場した子どもたちが実はほとんど漢民族のエキストラだったとか、あたかも偽装を非難するような報道もあった。しかし、チーフディレクターが映画監督のチェン・イーモウ(張芸謀)氏であることを考えれば、それらは映画の世界では当然の演出ということになろう。地球を表す球体の上を何人もの人々が走ったり側転したり、聖火ランナーが会場の壁を走って聖火台に点火したりするワイヤーアクションは流石である。

残念だったのは、平和の祭典の開会式と同じ日に、ロシアのグルジア侵攻がなされたことである。
思えば、中ソ紛争もあり、冷戦の只中だった1980年モスクワオリンピックが開催された。アフガニスタン侵攻等に抗議して多くの西側諸国、そして中国もこれをボイコットした。その5年後の1985年にはミハイル・ゴルバチョフが書記長になりペレストロイカを推進。モスクワオリンピックの約10年後の1991年にはソ連邦は崩壊している。

モスクワオリンピックの参加国・地域数は81。これに比べれば、今回北京オリンピックに史上最多の204カ国・地域の選手の参加があったことは、やはり素晴らしい。
軍事力の大きさで国力を誇示する軍事パレードとはまったく別のレベルの、ずっと上等な国力を感じさせるものだった。

こちらも北京オリンピックに合わせたのかどうか、今年の芥川賞は中国人のヤン・イー(楊逸)氏の「時が滲む朝」が受賞した。そこには純粋に中国を愛する青年たちが国を愛するがゆえに民主化を求め、しかし天安門事件を契機に抑圧され、日本に渡ってなお北京オリンピック開催に反対する署名を集めるといった姿が描かれている。
13億人を超える人口を抱える中国の人々の意識はやはり多様なのだ。オリンピックを通じて世界と触れ合った中国。5年後、10年後この国の姿はどうなっているだろう。
また、環境制約や経済格差の極限を迎えた世界の価値観変化の中で、オリンピックの姿はどう変わっていくだろうか。
どちらもいまのまま不変とはいかないことは確かだと思う。