マネージャーブログ
Aug 19, 2008
北京オリンピック
2008年8月8日午後8時から始まった北京オリンピックの開会式は、中国の経済社会文化の発展を世界にアピールする素晴らしいものだったと思う。
開会式場の愛称「鳥の巣」に近づいてくる巨人の足跡のような花火が実はコンピューターグラフィックだったとか、可愛い少女の歌声が実は別の子の吹き替えだったとか、少数民族の衣装を着て登場した子どもたちが実はほとんど漢民族のエキストラだったとか、あたかも偽装を非難するような報道もあった。しかし、チーフディレクターが映画監督のチェン・イーモウ(張芸謀)氏であることを考えれば、それらは映画の世界では当然の演出ということになろう。地球を表す球体の上を何人もの人々が走ったり側転したり、聖火ランナーが会場の壁を走って聖火台に点火したりするワイヤーアクションは流石である。
残念だったのは、平和の祭典の開会式と同じ日に、ロシアのグルジア侵攻がなされたことである。
思えば、中ソ紛争もあり、冷戦の只中だった1980年モスクワオリンピックが開催された。アフガニスタン侵攻等に抗議して多くの西側諸国、そして中国もこれをボイコットした。その5年後の1985年にはミハイル・ゴルバチョフが書記長になりペレストロイカを推進。モスクワオリンピックの約10年後の1991年にはソ連邦は崩壊している。
モスクワオリンピックの参加国・地域数は81。これに比べれば、今回北京オリンピックに史上最多の204カ国・地域の選手の参加があったことは、やはり素晴らしい。
軍事力の大きさで国力を誇示する軍事パレードとはまったく別のレベルの、ずっと上等な国力を感じさせるものだった。
こちらも北京オリンピックに合わせたのかどうか、今年の芥川賞は中国人のヤン・イー(楊逸)氏の「時が滲む朝」が受賞した。そこには純粋に中国を愛する青年たちが国を愛するがゆえに民主化を求め、しかし天安門事件を契機に抑圧され、日本に渡ってなお北京オリンピック開催に反対する署名を集めるといった姿が描かれている。
13億人を超える人口を抱える中国の人々の意識はやはり多様なのだ。オリンピックを通じて世界と触れ合った中国。5年後、10年後この国の姿はどうなっているだろう。
また、環境制約や経済格差の極限を迎えた世界の価値観変化の中で、オリンピックの姿はどう変わっていくだろうか。
どちらもいまのまま不変とはいかないことは確かだと思う。
Aug 05, 2008
排出量取引は欺瞞か?
東京大学名誉教授の月尾嘉男氏が日経BPNetの『環境革命の真相』というコラムに「炭素を市場で売買する欺瞞」という文章を寄せている。その文章は次のようなきつい言葉で締めくくられている。
「当然、炭素を私有している人間も存在しない。それを市場で売買するという仕組は所詮、仮想のものである。石油市場の限界を見透かし、炭素本位経済が構築され、世界の余剰資金が炭素取引市場に流入し、再度、浮利を獲得しようという思惑が渦巻いている。これは沈没しつつある地球という客船の船室でカードゲームに一喜一憂する醜悪な光景である。本来は世界一揆の状況なのである。」
市場経済のメカニズムによって膨れ上がったCO2を、市場経済のメカニズムによって削減する。多くの環境NGOも後押しし、日本政府も重い腰を上げたCO2の排出量取引。関係者は、こうした苦言をどう受け止めるのか。
1971年に金とドルの交換が停止したニクソンショックによって金本位制が終わったとされている。それ以降、世界の経済規模は大きく拡大した。エコロジカルフットプリントで言えば、人類の経済規模拡大に伴う環境負荷という足跡は1980年代の後半に地球1個分の環境収容力を超え、いまは1.25個分にまで拡大している。
ちなみに、世界中に存在する金の総量は約15万トン。オリンピックプール3杯分くらいで、時価換算すれば500兆円。日本の株式の時価総額とさほど変わらないのだという。世界経済がリアルな金本位制の下にあれば、これほどの経済規模拡大による環境破壊は起こらなかったかも知れない。
バーチャルな炭素本位制の下では、投機マネーはどう動くのか。環境NGOや善良なエコロジストたちの目論見どおりにCO2排出削減に動くのか、それとも浮利獲得のために排出量増加をも含めた取引量の増加を求めるのか。
一橋大名誉教授の都留重人氏は「市場には心がない」というタイトルの本を残して2006年に亡くなったが、私は、「本来の市場には心がある」と思っている。市場とは、究極的には自分たちが必要とする商品やサービスを欲している人々だからである。
しかし、投機目的で大量のマネーを操る人々は、空気の組成や地球の温度を変えるほど増えすぎて不要になったCO2の排出権を、どのように取引するのだろう。やはり、月尾氏の「沈没しつつある地球という客船の船室でカードゲームに一喜一憂する醜悪な光景」という皮肉な喩えがあたっているかもしれない。
排出量取引市場に限らず、投機マネーを排除して「市場に心を取りもどす」方法を一日も早く政府、市場関係者、経済学者に考えてもらいたい。排出量取引市場は、その良き実験場にしてもらいたい。
Calendar
Categories
- 社会環境コミュニケーション (1)
- SLOWSMALLについて (3)
- 日記・エッセイ (55)
- キーノート (7)
- 循環型社会研究会 (4)
- 八ヶ岳南麓のSlowSmallな生活 (6)
New Entries
- 謹賀新年 - 01/01
- 大晦日に今年を振り返る - 12/31
- 「チロ」のための「テロ」 - 12/30
- 景気対策なら無責任も許されるの... - 11/19
- オバマ氏と希望 - 11/11
- 小島慶三先生を偲ぶ - 10/25
- 市場価格の乱高下対策もスロース... - 10/22
- エコノミー社会とエコロジー社会... - 10/04
- 小泉劇場の終わりに思うこと - 10/03
- 八ヶ岳南麓のSlowSmallな生活(... - 09/26
Archives
- 2009年01月 (1)
- 2008年12月 (2)
- 2008年11月 (2)
- 2008年10月 (4)
- 2008年09月 (3)
- 2008年08月 (2)
- 2008年07月 (2)
- 2008年06月 (4)
- 2008年05月 (6)
- 2008年04月 (1)
- 2008年03月 (1)
- 2008年02月 (2)
- 2008年01月 (2)
- 2007年12月 (1)
- 2007年11月 (5)
- 2007年10月 (5)
- 2007年09月 (1)
- 2007年08月 (3)
- 2007年07月 (8)
- 2007年06月 (1)
- 2007年05月 (6)
- 2007年04月 (4)
- 2007年03月 (2)
- 2007年02月 (7)
- 2007年01月 (1)
Powered by PLum blog 1.0